尖閣・竹島 領有の正当性 堂々主張を

 

 

 

 尖閣諸島(穀田恵二衆院議員撮影)

冷静な外交努力で解決を

 尖閣諸島、竹島をめぐる領土問題。日本共産党は、「日中・日韓両国の緊張を激化させ、関係を悪化させる行動・言動は、いずれの政府も慎まないと問題の解決にならない。冷静な外交的努力で解決することが大事」と訴えています。

侵略による奪取と異なる

 日本共産党は、尖閣諸島の日本領有は歴史的にも国際法上からも正当だと考えています(2010 年10月発表の見解)。中国側は、日本が日清戦争で不当に奪ったと主張していますが、日清戦争の講和条約の経過から見ても尖閣領有は領土の奪取ではありません。

 問題は、歴代の政権が1972年の日中国交回復以来、本腰を入れて領有の正当性を中国側にも国際社会にも主張してこなかったことです。

竹島 話しあう外交的土台つくれ 

 竹島も日本が領有権を主張することには歴史的根拠があります。同時に日本に編入された1905年は日本が韓国を武力で植民地化する過程で、韓国の外交権が奪われていたことも考慮すべきです。

 大事なことは冷静な話し合いの土台をつくること、そのためには侵略戦争と植民地支配への真摯な反省と謝罪が必要です。

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新家駅で早朝ビラ宣伝。大森和夫議会報告№92を配布しました。

晩は妻と娘と息子と3人でたこ焼きを食べたそうです。自分たちで焼いて、楽しくおいしく食べたそうです。

汗まみれになって「新家駅海側に改札口を」と訴える

今日も、「みなさんと力を合わせて、新家駅海側に改札口を作りましょう」と午後から、汗だくになって地域をまわりました。

地元自治会や市の運動で、新家駅海側に改札の増設の計画が進んでいましたが、現在、足踏み状態になっています。

私はさわやかバスなど公共交通を活用し、新家駅の交通混雑の解消に取り組もうと訴えました。

気温が35度にもなり、シャツやカッターまでが汗だくになりました。

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滋賀県大津市に下宿している大学生の娘がやっと帰ってきました。始発で帰ってきて、朝ごはんを食べて、家族の洗濯をして、猫を洗ってくれました。おばあちゃんにだけ、服とサンダルのお土産を買ってくれました。

なぜ始発で帰ってきたのか、理由は聞いていません。親の顔を出来るだけ早く見たかったのでしょうか?・・そんなことは、あり得ない!

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午前中 竹田議長、和気副議長、中尾議運委員長と副委員長の私の4人は、9月3日から始める第3回定例議会の事前説明を受けました。

その後、共産党議員団会議を開き、9月議会の相談をしました。

晩は、夫婦と長女・長男の4人とおばあちゃんの5人で食事に行きました。

原爆の恐ろしさ「樫の木坂の4姉妹」 3日でシャツ11枚

夜、泉南演劇鑑賞会第160回例会 俳優座「樫の木坂の4姉妹」を見ました。

終戦1年前の1944年から、長崎の原爆投下、2000年から翌年までの7人家族の物語です。

父・葦葉駒吉、原爆病で亡くなる。

母・葦葉せい、原爆を受け亡くなる。

長男・葦葉幸雄、特攻隊員になり沖縄で戦死。

長女・葦葉しを、原爆病のため、婚約者と別れる。長崎原爆の語り部になる。

次女・葦葉ひかる、典型的な軍国少女だったが、終戦後アメリカ人と結婚して渡米。一児をもうけるが、子どもは虚弱体質のため1000日で亡くなる。その後アメリカ人の原爆被害者に対する偏見に耐え切れず、離婚し日本に戻り、2001年、原爆病で亡くなる。

三女・葦葉まり、四女と双子。ピアノが得意だったが、学徒動員の工場で原爆を受け死亡。

四女・葦葉ゆめ、双子の姉まりを助けられなかったことが心の傷になる。姉に代わりピアノを勉強して教師になる。独身を貫き、長女、次女の面倒をみる。

劇中で実際に食事をしたり、掃除機をかけたり、日常生活そのままの舞台でした。声高に、原爆の批判はしませんが、日常生活のなかで、どれだけ原爆や戦争が、庶民を苦しめているのか、その悲惨な様子が伝わってきました。

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午前中は、障害者の車を購入した時の税金の減免申請のお手伝い。

午後は、市長から九月議会での人事案件についての説明がありました。

先週末から暑い日が続き、汗をかくたびにシャツを着替えていました。それが三日間で11枚になり、洗濯が大変だったと妻から嫌味を言われました。

さらに、洗濯機に入れたシャツがすべて裏返しだったそうです。シャツを畳むとき、時間がかかると怒られました。

「非核平和の集い」 文化ホールが一杯

文化ホールで行われた「非核平和の集い」は立ち見がでるほど盛況でした。

 一部は「戦争体験記発表 ~語り継ごう平和の未来へ~」として、国民学校3年生の時に敗戦を迎えた田中豊子さんのお話を聞きました。

田中さんが2歳の時から、お父さんは6年8か月も戦争に行っていたそうです。戦地から戻ってきて「これがお父さんですよ」と言われても、田中さんはお父さんを身近に感じることが出来なかったそうです。

「父はもちろん、父と離れ離れにされた子どもも被害者」と話していました。

「戦争は絶対いけないもの。しかし、戦争はなくならない。それは人間が忘れやすいものだから。戦争体験を語り継ぐこと、忘れない機会つくることが大事。戦争体験の風化、戦争経験者の高齢化があり、ますます大事なっている」と締めくくっていました。

二部は、映画「一枚のハガキ」(主演、豊川悦司・大竹しのぶ)を鑑賞しました。

新藤兼人監督の遺作となった実体験のもと製作された映画です。人間の希望と再生を描いた反戦映画ですが、面白い場面もたくさんある映画です。

戦争で人生を狂わされた大人の話ですが、子どもはもっと苦労しただろうと思います。

夫が出征し、母と子どもが残された家は、経済的にも大変だってしょう。親を失った子どもの生活はさらに大変だったでしょう。

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午前中は、たのうえ衆院予定候補と地域をまわりました。消費税問題・原発問題・雇用問題にみなさん怒っておられました。しんぶん赤旗の購読も増えました。

中道友香×鎌田明香ジョイントリサイタル 消費税増税反対署名

地元の一丘中学校吹奏楽部出身、中道友香(なかみち ともか・ソプラノ・愛知県立芸術大学卒)と鎌田明香(かまた さやか・ピアノ・大阪芸大卒)のジョイントリサイタルに妻と行きました。

若い人の演奏は素人目ですが、素晴らしかった。「オペラみたいな高尚なもん、理解できるか」と心配しましたが、簡単な説明と音楽の授業やテレビでよく耳にする楽曲で親しめました。

演奏者のみずみずしさ、演奏会場rojicaのたたずまい、演奏者の友達や家族の応援がリサイタルを、盛り上げていました。

いつの間にか、演奏に聞き入り、解放された自由な時間を過ごしました。

アンコールは山田耕筰作曲の「いつか来た道」と観客も歌う「赤とんぼ」でした。日本の歌のおかげでホットした気持ちで帰路につけました。

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「消費税反対の署名」を集めに地域をまわりました。予想以上に多くの署名が集まりました。

「今さら、署名しても、何か変わるの?」「消費税増税には反対するけど、今の政治には何も期待しない」と署名を躊躇する家もありました。

しかし「年金は減らされる。税金や保険料で引かれる分が多い。なんでや」「増税で暮らしていかれへん」と多くの方が署名に協力してくれました。

樽井駅で早朝宣伝

立秋が過ぎても暑い日が続きます。日の出も遅くなっていますが、7時前の早朝宣伝でも、照りつく太陽がこたえます。

お盆明けでも、思ったより通勤・通学の人が多くいました。「今日から3日間、勉強の合宿に行きます」という中学生もいました。

消費税増税の問題点、消費税に頼らなくても財政再建と社会保障の充実ができる、再来年の消費税増税実施までの衆・参の選挙で増税派に厳しい審判を下し増税をSTOPさせようと、訴えました。

夕方、小山泉南市議が選挙事務所に寄ってくれました。新しいニュースの配布、宣伝と頑張っているようでした。

大森和夫議会報告№92も、もうすぐ完成します。私も頑張って配布します。

晩は、岸和田で共産党の会議ありました。