こんにちは。日本共産党 大森和夫です。
[2011.6.15] -[議員日誌]
アスベスト国賠訴訟の第二陣(大阪地方裁判所)で、4人の本人尋問が行われた。これで、すべての原告(被害者)尋問が終った。
尋問で印象に残ったこと
原口さん(遺族原告)・・・アスベストで亡くなった夫のこと
・夫は石綿肺で入院し、人口呼吸器をつける。口にマスクを入れ、テープで固定する。手足は暴れないようにベッドにくくる。手には点滴の注射針が刺さっている。痰が詰まると、顔をいがめ、肩を震わす。機械で痰を吸引するが、苦しそうで見てられない。
・夫が妻に「面倒かけてすまんな」とあやまる。それに対し「弱気になったらあかん」と励ますが、「健康なものには、石綿の病気が、どんなにつらいか、わからん」と怒られる。
・夫を火葬したとき、右肺のところに黒い塊があった。職員から「こんな硬い肺は、息をするだけでも苦しい。石綿の病気は大変や」と言われた。
山内さん(遺族原告)・・アスベストで亡くなった父のこと
・15年間、泉南の石綿工場で働く。 69歳の頃、咳、痰がひどくなり、食欲不振になる。
・肺がんが見つかり、片肺を切除する。しかし、がんが転移して4ヵ月後に死亡。
・医者に「石綿と違いますか」と尋ねたが、医師は「がん」だと答える。
・父が亡くなって15年後、父の肺がんはアスベストが原因だとわかり、アスベスト新法の認定を受ける。
・父のようにアスベストが原因だとわからず、亡くなった人が、たくさんいるはず。
藤原さん
・咳、痰がひどい。痰を押さえる薬を飲むが、改善しない。「これ以上、きつい薬はない」と医者から言われる。
・痰が出ないのは、苦しい。 階段の上り下りがしんどい。10段上がると休憩する。
・今以上に、症状が悪化したら、家から出るつもり。家にいると家族に迷惑をかける 。
水本さん
・同僚も石綿の病気で苦しむ。
・2年前に管理区分1の認定をうけたが、今年、管理区分4(最も悪い値)になる。
・短期間で一気に悪くなって、ショックが大きい。
・夜に何度も咳き込んで起きる。寝られない。家族もその咳で目を覚ますが、苦情も言わない。申し訳ない。
・50メートル歩くと息切れして一服する。家事も充分出来ないが、家族が応援してくれている。
・オーストラリアで働いている娘が、心配して帰ってきた。娘は「おかあさん、元気でいてね。約束よ」と置手紙を書いて戻った。 手紙をみて、涙が止まらなかった。
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午前中は、総務文教常任委員会にでました。
東日本大震災の被災者に、全壊した住宅のローンがある場合、税金の控除を受けられる条例が審議されました。
私は、遅れている被災者への支援を強める必要性を訴える賛成討論を行いました。
委員会が終ってすぐに、裁判の傍聴に出かけました。