こんにちは。日本共産党 大森和夫です。
[2011.5.18] -[議員日誌]
10時から3時30分まで、大阪地裁202号大法廷で泉南アスベスト国賠訴訟 第2陣原告のうち6人の本人尋問が行われました。昼休みは裁判所前で宣伝を行いました。
尋問は原告代理人30分、被告(国側)代理人10分で行われます。尋問の内容をメモしました。以下の通り。
中田さん・泉南市の三好石綿でブレーキライニングをつくる。同僚と結婚し、子ども2人と4人家族で敷地内の社宅に住む。夫もアスベストによる肺がんで亡くなる。咳や痰がひどい。肺活量が減り、酸素ボンベを使用。ボンベのチューブは顔を洗う時以外、つけている。家事は同居の娘が行う。チューブの酸素に引火するため、仏壇のロウソクや線香は使えない。夫に悪いと思っている。
徳永さん(遺族原告)・夫は石綿工場で朝8時から残業で10時まで働く。工場で働く人は「石綿が体に悪い」と思っていないので、残業の時、石綿が舞う工場内で、夜食のうどんを食べていた。近畿中央病院(肺や呼吸器専門の国立病院)で診察を受けるが、即入院し、酸素ボンベを使うようになる。労災認定は最も症状が重い管理区分4の認定を受ける。寝ると肺に圧力がかかり、苦しく寝れない。こたつ椅子に座って寝るようになる。
松本さん・33歳で未亡人となり、親戚の紹介で石綿工場で働く。工場内は石綿が舞い、ほこりまみれだった。作業帽子から靴下まで石綿で真っ白になった。咳と痰、息切れがひどい。「娘が同居する」と言った時は嬉しかった。家事は娘がしてくれる。肺に影があるため、肺がんの検診が年1回から2回に増えた。「将来 肺がんになる」と医者から言われ、不安。
亀岡さん・石綿工場で2年間働き、石綿肺と胸膜肥厚になる。たった2年で石綿の病気になると思っていなかった。呼吸困難で団地の階段の上り下りがしんどい。石綿工場で着る作業服を毎日洗ってくれた妻も、石綿のせいで胸膜肥厚になった。妻には心配させないようにしたい。妻は石綿関連の仕事はしていない。
迫園さん・佐賀の炭鉱から、友人の紹介で三好石綿に来る。家族で三好石綿の敷地内にあった社宅に住む。呼吸困難で生活に支障がでる。娘に面倒を見てもらうために、引っ越す。三好石綿では、蒸気機関車のボイラーの断熱材(石綿ふとん)をつくっていた。コマツ製作所むけの石綿製品も作った。娘や孫との生活を大事にしたい。健康な体を返してほしい。
高山さん・戦中・戦後、親代わりに妹弟の面倒をみてきた。小学4年から学校に行っていない。夫が病気で働けなくなり、石綿工場で働く。4人の子どもも石綿の仕事を手伝う。現在、長男が石綿の健康被害と同じ症状が出ている。「将来、(石綿の病気はひどくなるのか)どうなるだろう」と子どもから聞かれるのが、つらい。肺活量は一般の人の半分しかない。子どもには迷惑をかけたくないので、つらいが一人暮らしを続けている。
尋問は20代の若手弁護士、男性5人と女性1人が行いました。スライドなどを使って質問を行いました。尋問を通して、アスベストの被害の実態が明らかになりました。若手弁護士は、カッコよく存在感がありました。
裁判の後は、中之島中央公会堂の会議室で報告集会がありました。
中之島公会堂の正面