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  • こんにちは。日本共産党 大森和夫です。

    泉南アスベスト国賠訴訟・2陣訴訟(大阪地裁)

    [2011.1.16] -[活動トピックス]

     1月19日(水)午後1時半から、泉南アスベスト国賠訴訟・2陣訴訟(大阪地裁)が行われます。

       裁判の傍聴にお越しください。阪南市役所、泉南市役所、泉南市新家経由でバスが出ます。

     

    ●今回は、泉南市新家にあった三好石綿(現三菱マテリアル建材)に働いた3人原告の本人尋問があります。3人とも泉南市に在住しています。


    夫は石綿肺に肺がんを合併、
    転移した脳腫瘍で苦しみの果てに亡くなりました

           原告たちの声を聞いてください
    泉南アスベスト国家賠償請求原告 澤井たま江さん

      (19日に本人尋問をおこないます)

     夫澤井石正は平成2年11月17日、67歳で亡くなりました。20年以上も石綿肺で咳き込みや息切れに苦しみぬいたあげく肺がんとなり、がんが転移して脳腫瘍となり、最期は衰弱して声も出せなくなりガイコツのように皮ばかりの体となって亡くなりました。


     夫は島根県隠岐郡西ノ島町で生まれで、小学校卒業後、約36年間三好石綿で働きました。仕事は主に、混綿の作業でした。まじめでよく働き、会社から表彰もされていました。混綿の作業は、石綿の原料を直接触ります。混綿されたものを手で抱え込んだりもして、石綿のほこりまみれになる仕事でした。作業着には白い石綿のほこりがつき、髪の毛に石綿の粉じんが着いていました。


     夫は、45歳頃からよく咳をするようになり、咳き込みはだんだんと激しくなっていきました。夜は、朝まで咳き込みで横になることができず、正座をして、丸めた布団をかかえこむような姿勢で過ごしました。また、横になったり、座ったり、身の置き所がないような様子の日もありました。


     

     60歳で、石綿肺と診断されました。一番重い管理区分4でした。63歳ころから、入退院を繰り返すようになり、ベッドの上で酸素マスクをして過ごしました。


     64歳の年の入院中、医師から「息子さんと2人で来て下さい。」と言われました。そして、「肺がんで、あと2年しかもたない」「頭に転移したら早いよ」と言われたのです。


     その時には、気が動転して、医師が何を言っているかわからず、ただ涙がぽろぽろ出ました。息子も、隣で黙って泣いていました。


     当時、「がん」は治らない病気でしたので、夫に伝えることはできませんでした。医者から「頭に転移したら、早いよ」と言われていましたが、恐れは実際になり、ついに、脳にがんが転移したのでした。

     

     術後、一人では何もできず、常に付添が必要な状態になりました。水も飲めず、口の中はばりばりに乾き、血が出ている状態で、声も出なくなりました。手は細くなってしまって注射針のさすところがなく、首から点滴を入れていました。暴れて、管が抜けて血まみれになり、輸血をしたこともありました。ずっとベッドにくくりつけられていました。


     息子は、看病のために仕事を辞めなければなりませんでした。 壮絶な病気との闘いでしたが、最後の瞬間は、スーッと安らかに息を引き取りました。そのことだけが救いでした。


     今でも、石綿の病気で死んでしまった夫を返して欲しいという思いでいっぱいです。


    大阪・泉南アスベスト国賠訴訟原告団・大阪じん肺アスベスト弁護団
    大阪泉南地域のアスベスト国賠訴訟を勝たせる会                            

     2011年1月13日 ニュースより

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