こんにちは。日本共産党 大森和夫です。
[2011.1.13] -[議員日誌]
泉南アスベスト国賠訴訟の第2回控訴審の口頭審判がありました。朝から、観光バス1台を貸し切り、原告やその家族、支持者とともに裁判所に行きました。テレビ局の取材も同行しました。
12時から裁判所前で宣伝、1時前から傍聴席の抽選に並びました。そのあと、1時15分から裁判所正面玄関から、原告や弁護団とともに入場しました。
あわただしく1時30分から裁判が始まりました。
初めに、泉南市在住の西村さんの日常生活を映したビデオが、弁護士によって紹介されました。西村さんは、肺活量が落ちているため、酸素ボンベを使ってチューブで空気を鼻に送っています。長いチュ-ブをつけて日常の仕事をします。
それでも、階段を上がるたび、入浴中の時、就寝前も、激しく咳きこみ、腹の底から唸るようにして痰を出します。激しい咳の時は、失神する寸前までいくそうです。
医者は動かないほうがいいと、言うそうですが、何かやらないと落ち着かない、動かないとますます体が悪くなるように思うそうです。
次に阪南市在住の原さんの意見陳述がありました。原さんは、自分自身だけでなく夫も姉夫婦もアスベスト工場に働いていました。夫も姉夫婦も肺病で亡くなっています。
原さんも咳や痰に悩まされ、好きだったカラオケもできなくなりました。姉が肺病で入院した時に、見舞いに行って「何か欲しいものが、あるか」と聞くと「空気が欲しい」と答えたことが忘れられないと述べていました。
また、2人の子どもが小さい頃、アスベスト工場に連れてきて、遊ばしたそうです。この子どもたちにアスベストによる被害が出ないか、とても心配だと述べていました。
引き続き、阪南市の岡田さんの意見陳述が行われました。岡田さんも夫とともにアスベスト工場に働き、夫をアスベストによる肺がんで亡くしました。本人は石綿肺に苦しみ、入退院を繰り返しています。
娘さんはアスベスト工場の中で、遊んだり寝かされたりしていました。そこでアスベストを吸引し、今では石綿肺のため、酸素ボンベが手放せない体になっています。
酸素ボンベを持って、宣伝する岡田さん(娘)
最後に、年初めに亡くなった前川さんの担当弁護士が陳述を行いました。前川さんは泉南にあったアスベスト工場で働きました。職人肌で几帳面に仕事をする人でした。この真面目さゆえにアスベスト被害にあいました。病床でアスベストの早期解決を願っていたそうです。
そのあと、三浦裁判長は、和解を協議に乗せるため、国に対し2月22日に「和解の可否」について表明するように、述べました。
弁護団は、「裁判所から国に大きなボールが投げられた。このボールを国は避けることは出来ない。これからの運動が大事。国に和解に応じるように訴えることが大事」と述べています。
早期可決に大きな一歩となりました。
裁判のあと、行われた報告集会(大阪弁護士会で)