こんにちは。日本共産党 大森和夫です。
[2010.7.26] -[議員日誌]
毎日新聞26日付朝刊の大阪版「なるほドリ」というコーナーに「泉南地域はどうして石綿産業が集中していたの?」という記事が載っていました。
なるほドリ(ひよこをイメージしたキャラクター)と記者との会話でわかりやすく社会問題を解説したものです。
記事の趣旨は次のものです。
(見出し)紡績が盛んで技術を利用
堺港が近く原料の陸揚げに便利
なるほドリの質問Q そもそも泉南地域には石綿産業を取り扱う産業が集中したの?
記者A 泉州は江戸期から「和泉木綿」で知られ紡績が盛んな地域です。泉南には足袋の底地に使う糸を紡ぐ小さな工場がたくさんあった。それが石綿工場に変わった。
Q いつごろの話し
A 軍艦の機関部分など軍需需要が急増した明治時代。このころ泉南に石綿紡織工場が設立された。
Q 紡織の技術をうまく利用したの?
A 泉南には、紡織関係の腕のいい職人が多くいた。石綿の繊維と混ぜるくず綿も誓うの紡織工場から集めやすい。さらに大きな川がなく、かんがい用水路の整備が進んでいたので機械を動かす水力を得るのが簡単だった。堺港が近く原料の石綿の陸揚げに便利だった。
Q 今はもう石綿工場はないんだね
A 現在、石綿工場はないが、健康被害は石綿を吸ってから40年以上を経て現れる。被害者を支援するグループが不安のある近隣住民に定期健診や健康相談会の参加を呼びかけている。