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  • こんにちは。日本共産党 大森和夫です。

    第6回 泉南アスベスト国賠訴訟 原告集会

    [2010.6.12] -[活動トピックス]

      泉南アスベスト国賠訴訟は5月19日、国の責任を認める画期的な判決が出ました。その後、原告や弁護団は、国に対して控訴を断念する働きかけを行ってきました。

     

     アスベストに蝕まれた体に鞭打って、厚労省、環境省、国会議員に訴えに行きました。雨の日も強風の日も冬に戻ったような寒い日も、座り込みをし、声がかれるまで訴えました。泉南市長や議長、阪南市長や議長、大阪府知事も控訴断念の要望書を国に出しました。大阪で500人、東京で1000人を超える集会も開きました。

     

     その結果、長妻厚労大臣や小沢環境大臣は、控訴断念の意向を明らかにしました。しかし、菅財務大臣(当時)などの反対もあり、千石国家戦略担当大臣(当時)の判断で6月1日に控訴されました。そのため原告も6月2日に控訴しました。

     

    控訴後、はじめての原告団集会ー控訴断念の手前まで追い詰めた成果

     樽井公民館で午後2時から第6回原告団集会が開かれました。会議終了時刻は4時でしたが、1時間近く延長する熱気ある集会になりました。芝原弁護団長のあいさつのあと、柚岡・市民の会代表から、前回(5月22日)からの原告の運動の報告がありました。

     

     村松弁護団副団長からは、「控訴はされたが、原告の頑張りで大きな世論をつくり、控訴断念の一歩手前まで国を追い詰めた。これからは、この高い成果をもとに、運動を進めていこう」という話がありました。

     

     その後、原告と弁護士一人一人が、一言ずつ、この間の取り組みの感想を出し合いました。

     

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    仲間が欠けることがないようにー早期の解決を

     佐藤さんは、裁判中にアスベストによる肺がんで夫を亡くされ、遺族原告になりました。「生きているうちに救済」が叶わなかった悔しさを訴え、一日も早く夫に、いい報告がしたいと涙ながらに訴えました。

     

     さらに、国賠訴訟を起こして4年間に4人の原告が亡くなり、在宅酸素を付けた人は4人、また入退院を繰り返している人も数人います。みんな、病状は日々悪化していきます。これ以上、原告の仲間が欠ける(亡くなる)ことがないように、早期解決を目指して、原告みんなで力を合わそうと話されました。

     

     岡田さんは控訴されたあと、環境副大臣に早期の解決を訴えました。その時は悔しくて泣いてしまったが、そのあと、厚労省のビルの前で「もう泣かない。がんばろう」と誓ったそうです。

     

     南さんは、19日の判決では国の責任が認められず、敗訴しました。しかし、常に原告団の先頭に立って、「控訴断念、早期解決」の訴えをしてきました。その頑張りに原告は励まされています。判決の後、みんな喜んでいるが、自分は敗訴になり、心の中は怒りで一杯で、口を真一文字にして耐えたそうです。

     

     控訴を決めた千石大臣の顔はもう見たくないが、千石さんは菅総理のもと官房長官になってテレビに出てくる。その都度テレビを消しているという原告もいました。この話には、みんな笑っていました。

     

    国の不当控訴に抗議する意見書が全会一致で可決の見込み

     私も先日の議会での質問や、市長や議会でのアスベスト問題への取り組みについて報告しました。6月議会で「国の不当控訴に抗議し、被害者の早期の全面解決を求める意見書」が全会一致で可決する見込みであることを報告すると拍手が起こりました。

     

     最後に、菅新総理に「早期の全面解決を求める要望書」を送ることを決めました。

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