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  • こんにちは。日本共産党 大森和夫です。

    判決を聞きながら、涙がとまらず

    [2010.5.19] -[活動トピックス]

     今日、泉南地域からバス2台で90人が「泉南アスベスト国家賠償請求訴訟」の判決を見守るため、大阪地裁に行く。

     

     バスの中で、半田秀雄さん(勝たせる会代表委員・元大阪千代田短期大学学長)は「何の責任もないアスベスト被害者いつまで苦しめるのか。高度経済成長のために切り捨てられて被害者。国はこれ以上悪あがきするな。もう待てない」という趣旨の話をされた。

     

    判決集会

    DSCF1885.JPG

     裁判所近くの空き地で、判決集会が開かれる。弁護団長や市民の会・会長などが挨拶。

     

     クボタショックからの5年間の裁判の取り組みや、隠れた被害者の掘り起こしの苦労などが話された。みんな「勝利を確信し、被害者すべてを救済するため、国に引き続き訴える」と話していました。

     

     その集会から、原告や弁護団、傍聴者が拍手で送りだされ、法廷にむかう。私も傍聴者の一人として歴史的な判決を聞くことができた。

     

    記者が法廷から飛び出す

     「裁判長が最初に『被告は』と言えば勝ち。分からない時は弁護士の顔をみて」と判決文の判断について教わった。

     

     裁判長は「被告・国は、一覧表のもとづき原告に賠償金を支払うこと。・・・・・・ 一覧表の中身は、原告Aさんは・・・・・万円、Bさんは・・・、Cさんは・・」と続きました。賠償額も請求額の7割程度認めらていた。

     

     「やった、勝った」と思うと涙がこみ上げてきた。その瞬間、記者たちも、法廷から飛び出して行った。弁護士を見たが、笑っている顔はなかった(弁護団は50人いるので、見えるほうが少ない)。弁護士も判決の意義をかみしめているいるようだった。

     

     一方、名前の呼ばれない原告がいることに気がつき、なぜだ、と思った。裁判長は3人の原告ついて国の責任を認めなかった理由をのべた。その時「裁判長 間違っている。工場周辺には、実際に石綿被害者が多くいるんだ。国の責任は戦前からあるんだ」と呟いた。

     

    判決報告大集会

    DSCF1887.JPG

     判決後、判決報告大集会が「いきいきエンジングセンター」で500人集まって行われた。原告らが壇上に並び、支援のお礼を行う。また、弁護団から判決の意義が報告され、活気ある集会になった。

     

     集会のあと、原告・弁護団・市民の会は、休む間もなく東京の要請行動に出発。

     

    大阪府に要望書を渡す

     集会をぬけ、原告3名と弁護団とともに橋下知事宛の要請文を持って行く。府庁につくと、カメラ3台他、記者が取材に来てた。知事は欠席だが判決の重みを実感。

     

     地元知事として国に対し、アスベスト被害の早期・全面解決を要望するため、力を貸していただくように要請した。

     

     大阪府をはじめ府下の半数以上の議会で早期解決を求める意見書が可決している状況を訴えた。

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