こんにちは。日本共産党 大森和夫です。
[2009.7.21] -[活動トピックス]
7月15日 、第24回アスベスト国賠訴訟が大阪地裁・第202号大法廷で行われました。原告本人尋問が行われました。
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Kさんは、嫁いできて初めて見る石綿スレート粉砕時の石綿粉じんのすごさに「こんなところで仕事をしなければメシが食っていけないの」と思ったという証言。アスベストで亡くなった夫の癌との闘病生活の生々しい証言。
「裁判長さん、国の代理人さん。あなた方のご親戚にアスベスト患者はいますか。おられないなら、よかったですね。こんな悲惨なことは私だけで十分です」「国は、責任を認めて早く償ってほしい」とい訴えました。
KOさんは、まさに泉南の女工哀史の証言でした。
4人の子供と病弱な夫のために、阪南市の劣悪な作業環境での石綿工場をいくつも転々とし、徹夜の仕事に耐えてこられました。
そして、仲間が次々と石綿の病気で亡くなり、自身も石綿肺とりました。
「国は石綿が体に悪いと知っていたのなら、どうしてちゃんとした設備のある工場だけ許可するようにしなかったのですか。病気になったり、死んだりした後で騒いでも遅いでしょう」と話された。
Oさんは、夫婦で石綿工場の社宅に住み夫を石綿肺と肺がんでなくし,自身も石綿肺となりました。さらに幼児期に工場に連れてきていた娘さんも石綿肺となるという「家族ぐるみの被害」の証言でした。
石綿粉じんのついたままの作業着で娘に授乳し、工場に連れてきていた娘の体に雪の粉のように埃がつもっていたという証言、そして、自身も石綿肺で苦しんでおられながらも、娘が苦しんでいる姿をみて、自分を責めて、代われるものなら代わってやりたいという母の心情の証言が、とても印象的でした。
Oさんの娘さんは、石綿の病気で、天職と思っていた看護婦の仕事をやめざる得なかった無念さ、酸素吸入をしながら生活する日々の肉体的・精神的な苦しさ、隠しておきたいたいであろうと思われることも含めて、赤裸々に語ってもらったと思います。
以上は、弁護士のメモを参考にまとめました。
私は、アスベスト健康被害の悲惨さを多くの市民に知ってもらい、このような悲劇が2度と起こらないようしたい、と思いました。