当サイトは2012年3月2日をもちまして、更新を停止しています。新しいサイトは、 http://ohmorijcp.wajcp.net/ です。
お気に入り(ブックマーク)やリンク集に登録されている方は、お手数ですが変更をお願い致します。
  • TOP
  • プロフィール
  • 活動トピックス
  • 議員日誌
  • 議会だより
  • こんにちは。日本共産党 大森和夫です。

    「早く楽になりたい」なんて言わないで

    [2012.1.11] -[議員日誌]

    先日、アスベスト国賠訴訟の原告の西村東子さんのお見舞いにご自宅を訪問しました。

     

    原告の岡田陽子さん、市民の会の柚岡さん、疾走プロ(映像プロダクション)の原監督と小林さんと一緒に行きました。


    西村さんは夏以降、寝たきりになってします。酸素とつけていても、体の向きをかえるだけで息ぎれがするそうです。

     

    酸素吸引は一番強く、心臓に負担がかかり、体がむくみ、喉もすぐに渇くそうです。身の回りのことはすべて同居している息子さんにやってもらっています。


    食欲がない東子さのために、息子さんが一生懸命に食事を作ります。息子さんは、少しでも、食べてもうために、毎日、東子さんに「何がたべたい」と聞くそうです。東子さんは好きなものでも、一口ぐらいしかたべられません。


    「息子の料理は私より上手」と東子さんは、ほめています。一方、息子さんは「やはり、母のほうが料理は上手」と話しています。しかし、息子さんは東子さんのおいしい料理をもう食べることは出来ません。


    東子さんはよく「もうしんどい。いつまで生きられるか」とこぼすそうです。子ども達から「弱気になるな」としかられるそうです。

     

    今回も、東子さんは岡田さんに「早く楽になりたい」とこぼしていました。岡田さんは、東子さんの手を握って「弱気になったらあかん」と励ましていました。


     

    大阪高等裁判所での第1回の法廷(2010年1117日)で、原告西村東子さんが、酸素をつけながら、陳述しました。写真は車いすに乗り入廷する東子さん

     

     西村東子.JPG

    私は、原告の西村東子です。石綿肺で、平成18年6月にじん肺管理区分4の認定を受けました

     

     私は、昭和49年から平成8年まで、大量の粉じんの舞う石綿工場で働きました。3人の子供を育てるため、服や体に粉じんがびっしりとつく中で、朝5時から夕方5時まで働きづめでした。きつい仕事でも、私は働くことが好きでした。

     

     管理4と言われ、一番重いことを知ったときのショックは、今でも忘れられません。

     

     4年半の裁判の中で、私の体は、どんどん悪化しました。昨年1月の尋問の時は、酸素を付けずにがまんしましたが、話すだけで息が上がって苦しかったです。その年の2月から、酸素を付けていますが、それでも、息が苦しいです。洗たく物を干すため、階段も、四つんばいになってどうにか上っていましたが、今は、息子にやってもらうこともあります。家事も出来なくなったらおしまいだと思うのですが、もう投げ出したい、と思ってしまいます。

     

     こんな体ですが、判決を見届けたくて、裁判所に通いました。勝訴判決を聞いた時、やっと苦しいたたかいが終わったと思い、ほっとしました。それなのに、控訴され、国に見放された思いがしました。私が生きている内に解決がされるのか、心配で仕方ありません。

     

     私たちは、もう4年以上、たたかってきました。いつ終わるか分からない、長い裁判に耐えられる体ではありません。生きるために、23年間も、苦労して働いてきたのに、死ぬために働いてきたと思いたくありません。裁判官のみなさん、どうか、私たちの願いを聞いて、早く解決して、私たちを安心させて下さい。よろしくお願いします。


     

    ブログを書くならBlogWrite